『雫、美人になったなぁ』
瞳を閉じたまま微動だにしない少女を見下ろし、男は満足そうに微笑を浮かべていた。そしてその様子を間近で見ていたプラチナブロンドの青年は苦笑を浮かべる。
「……親バカ、ですね」
静かに降る雨の下、横たえられた雫を挟んで、元契約主と大天使は6年8ヵ月ぶりに再会していた。
焔の突然の死。それは榎――メタトロンにとって当時、酷く納得のいかないものだった。当然、死の直後から彼は焔の魂を探していた。
自分に見せようとしなかった彼の死の真相を知るために――
自分を契約に駆り立てた、焔の持つ謎を問うために――
しかし、その気になれば死んだ人間の魂など簡単に見つけ出せるはずの彼が、焔に限ってはその気になっても見つけ出すことができなかった。奇妙なことこの上なかった。
しかし、逆にそれが焔の焔たる所以なのかもしれない。だからこそ自分は脆弱な人間でしかない彼に興味を持ったのだ。――そんな風に処理をして、彼は焔探しをおざなりにするようになっていった。
それは時が経つにつれ、雫の養育に忙殺されるようになったから。雫と過ごす『榎』としての時間の方が、焔を探したい『大天使(メタトロン)』を超える比重を占めるようになっていたから。
榎はつい先刻、それに気がついた――いや、目を背けて気づかない振りをしていたそれを認めることができた。
そして今、焔に導かれて迷い込んだここは彼が己の死後、ずっといたという場所。大天使メタトロンの力をもってしても探すことが出来なかった場所。
『親バカ結構。オレは雫のためならバカになれるのさ。だから、お前の力(使えるもの)も使わないで死んじまったってワケ』
まるで笑い話を語るように焔は己の死の原因をさらりと口にした。しかし、それは結局事件の真相ではない。そしてそれは残された者がどんな想いをしていたのか、考えてもいないような言葉でもあった。
「焔ッ……」
言葉に詰まる。焔の死に納得できなかった自分の想い。突然支えを失った雫の想い。それをぶちまけてしまいたくなる。けれど、焔の言葉が彼の本心だとはとても思えない。
実際、そのとおりなのだが……。
『……悪い。あの時、何の説明も出来なかったよな。それなのにちゃっかり死に際に雫のこと、頼んだりしてさ……。すまなかった』
焔は言葉に詰まってしまった大天使に苦い表情で詫びた。これからすべてを話す――と。そして、『その前に一つだけ言わせてくれ』こう前置きをして深々と頭を下げた。
本来なら無視されてしかるべき契約を履行してくれた大天使。彼と自分が共に過ごした時間の間に損得なしの友情が間違いなく生まれていた。その喜びとともに一層強まる心からの感謝の念。それが込められていた。
『メタトロン、雫をここまで大きくしてくれて、ありがとう』
※
順序だてて話そう――そう言った焔は大天使と出会う前の自分のことを語った。しかし、それはどう聞いてもノロケ話にしか聞こえないものだった。
「焔……そのノロケ話が終わって本題に入ったら起こしてください」
どうやら脱線しているらしい焔に大天使がうんざりした表情で冷たい一言を放つ。と、焔はすぐさまそれに切り返した。
『ほー、聴かなくていいのか〜? ここからがメタトロンが興味津々だった「焔の謎」解明編なんだがなぁ。答えを教えないで死んじゃったお詫びに出血大サービスで教えちゃおうってのに、聴く気がないのかぁ。テストに出るのになぁ。もったいないなぁ』
表の仕事っぷりが想像に難くない話術。久しぶりに目の当たりにした焔らしさに大天使は思わずふき出してしまう。
「わかりました。聴きますからちゃんと脱線せず話してください。何故、あなたは名と同じ炎だけでなく、まったく逆の属性である水の加護まで受けているのか。私たち人外のモノでさえ相反する二つの属性を帯びるモノはそうそういないというのに、たかだか人間風情のあなたがそれを持っているということ。以上、要点をまとめて無駄なくお願いしますよ」
しかし、しっかり釘を刺すのは忘れていない。焔は苦笑を浮かべながら大天使の指し示した要旨をまとめなおし、「焔の謎」について再び話し始めた。
『まぁ、そんなわけでオレと彼女は結婚するに至ったわけなんだが、彼女がただの人じゃなかったんだな、これが。彼女は「龍神の花嫁」――要するに巫女だったんだ、水の神の。で、オレのことを愛しちゃってる彼女は、死んでしまったというのに健気にも危ないお仕事してるオレを護ってくれているってワケ。――意外と簡単な話だったろ?「焔の謎」なんて仰々しく考えるほどのもんじゃなくさ。ま、だからこそわざと勿体つけて教えなかったんだけどな』
だって、さっさと教えたらメタトロン「契約終了です」っていなくなっただろ? それじゃ困ったんだよな――焔はとんでもないことを暴露しながらも、それをどうとも思っていないように笑った。
「……焔……何と不遜な人間なのですか、あなたは!? 今でなかったら殺してますよ! なんて危ないことしてたんです!?」
『まぁまぁ、いいじゃないか。終わりよければすべてよし。上手いことお前さんにはバレずにここまでこれたんだし、そのおかげで友達にもなれたわけだ。――と、それよりも、ここからの方が大事な話だ。雫に、深く関わってくる……』
怒っているのか心配しているのかわからない様子の大天使を宥めながら、焔は表情を引き締めて言った。そして、眉間にしわを寄せながら視線を膝元に横たえられた娘に移した。
『……オレを殺したのは……龍神だ』
苦い表情で、焔は続ける。
『はっきり言って水桜が――オレの妻が「龍神の花嫁」だってのは儀礼であって、巫女としての称号みたいなもんだったんだ。巫女の前に龍神が現れたなんて、ここ5-600年はなかったって言うし……というか、一度現れたからこそ「龍の花嫁」が生まれたんだろうけどな……。
それがどういうわけなんだろうな。気まぐれにしろ、オレたち人間との時間感覚のズレにしろ、どうせ出てくるんなら今じゃなくて他の時代にずらしてくれって感じだったんだが……出てきたんだよ。龍が』
軽口を叩きながらも、その表情は変わらず厳しい。
『だけど水桜はオレと結婚していて、雫までいたわけだ。で、ついでに言ったらとっくに死んでいた』
視線の先の愛娘の瞼に、霧雨の細かな滴に濡れた栗色の髪が貼り付いていた。焔は一瞬表情を緩め、それを除けてやる。その慈愛に溢れる様子に、大天使は大きな影を見た。
「まさか……焔……」
問おうとして、それが愚問だと口をつぐむ。まさかも何もない。間違いなくそうなのだろう。だからこそ焔は宮本にではなく、無理を承知で自分に雫を託したのだ。
『……そう。龍神は水桜の代わりに雫を「龍神の花嫁」にしようとした』
「…………」
焔に問いたかった2つ目の質問。大天使はその答えを見つけてしまった。
(焔なら……自分1人で解決しなければ納得しなかったでしょうね)
相反する2つの属性をもつ不思議な人間に興味を引かれたのはそれだけが原因ではなかったと大天使は気づいていた。彼は焔自身の一本気な本質を――いいかげんにも見えるふざけた性格とのギャップも含めて――気に入っていたのだ。
その焔なら、龍神に対して結果的に花嫁を奪ったことを詫びるだろうし、しかしその一方でそれを認めさせようとするだろう。そして、当然雫を渡す気がないことも断言するはず。勿論、人間を見下ろす力を持つ龍神がそんな言い分を認めるはずがないのを――自らの命が危険にさらされるのをわかっていて、それをやるのだ。唯一人で。自分の為したことへのけじめと称して。
そんな性格だからこそ、気に入っていた。好意を抱いた。けれど、何も言わずに……頼りもせずに置いていかれたことは、胸に痛みを残している。
「……馬鹿な初芝焔。それでその龍神とやらはどうなったのです。あなたの命を賭した封印はどの程度持つのです?」
だから、少しくらい嫌味を言わせてもらおう――アイスブルーの瞳はそう思う。
『……すまん』
それを解っているのだろう。わざと作った大天使の冷笑に焔は心底詫びる。
その姿を見て、胸の痛みが癒されていく。いつまでも引きずっていた大天使メタトロンの痛みは過去の痛みへと変わっていく。
「それは聞き飽きました。さぁ、答えなさい。馬鹿な上、龍神程度のモノさえも何とも出来ない脆弱な初芝焔」
冷笑を消した真剣な彼の表情は、焔が知っているものよりも幾らかやわらかく、人間くさいものに変わっていた。
『……ありがとう、メタトロン』
「礼など必要ありませんよ。私はただ、あなたが命を賭して護ったこの娘を――拙くも脆弱な私の新しい契約主を護るために訊ねているだけですからね」
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